ハンムラビ大王について
まず、ハンムラビ大王は、かつてメソポタミアと呼ばれた地域、現在のイラクを平定した王であり、バビロン第1王朝の第6代目の王です。バビロン王国はもともと弱小国家でしたが、周辺の国々を征服し、最終的にはメソポタミア全体を統一しました。

ハンムラビ大王の名前は、19世紀に発見された「ハンムラビ法典」を制定した王としても広く知られています。中でも「目には目を、歯には歯を」という有名な一節は、多くの方が一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。
この有名な「目には目を、歯には歯を」は、ハンムラビ法典の第193条からの一連の法律を要約したものになります。
第193条 宮殿看守の息子、または誓願を立てた女性の息子が、父の家を知り、自分を育ててくれた父または母を憎んで父の家に行き、父の家を出て行った場合、その者の目をえぐり出さなければならない。
バビロニア王ハンムラビ; Trois Pièces d’argent. ハンムラビ法典(ウィンクラー=ジョン版:翻訳版): 古代の法と現代社会における正義の礎 (p.34). Kindle 版.
第194条:男が自分の息子を乳母に預けた場合、その息子が乳母の手で死亡した場合、乳母が父と母の同意を得ずに別の子供を懐妊した場合、その乳母を処罰する。また、父と母の同意を得ずに別の子供を懐妊したため、その乳母の乳房を切り取る。
第195条:父親を殴った者は、その手を切り落とす。
第196条:紳士の目を失明させた者は、自分の目を失明させる。
第197条:紳士の四肢を粉砕した者は、自分の四肢を粉砕させる。
第198条. もし彼が貧しい者の目を失わせたり、貧しい者の手足を砕いた場合、彼は銀1ミナを支払わねばならない。
第199条. もし彼が紳士の召使の目を失わせたり、紳士の召使の手足を砕いた場合、彼はその半額を支払わねばならない。
第200条:ある男が同等の身分の者の歯を折った場合、その者の歯を抜かなければならない。
この中の第196条や第200条の内容がもとになって、「目には目を、歯には歯を」という印象的な言葉が生まれたのではないかと考えられます。
OAHSPEに初出の「目には目を、歯には歯を」について
「ハンムラビ法典」に記されている「目には目を、歯には歯を」という言葉は、実は『OAHSPE』の中でも、神オシリスが同じような内容を語っています。
正義のために戦う者は我のために戦う者であり、我はその者と共にある。
OAHSPE-24『対ジェホヴィ戦争の書』47章-18
我は戦争の神であり、戦士と共にある。
我は平和の仔羊であり、平和を愛する者と共にある。
為すことは我が行いにあり、為さざるは我が行いではなく、死の行ないにある。
目には目を、歯には歯を、血には血を、慈悲には慈悲を。されど全ての者に征服する意志と共に力を与える。なぜなら我はそれを為すがために人類の前に現れるからである。
神オシリスは、神デユスが地獄に堕ちた後、神バアルやアシュタロスを配下に加え、アラビーニャ(現在のアラビア諸国)、パーシー(ペルシア)、ヘレステ(ギリシャ周辺)などの地域で、自らを創造主と名乗る独自の支配体制を築きました。その過程で、オシリスは自分が創造主であると主張するためのもっともらしい理由を作り、それを神バアル、アシュタロス、そして腹心の神エギュプトに語って聞かせる場面があります。その会話の中に、「目には目を、歯には歯を」に通じる内容が出てきます。

神オシリスの興味深い点は、自分のことを「戦争の神」であり「平和の神」でもあると言っているところです。この矛盾した主張を平然と語りながら、人々を従わせることを正当化しているのです。
のちに、パーシーを治めていた神バアルや、ヘレステを治めていた神アシュタロスがオシリスに反旗を翻し、三者の激しい戦いが繰り広げられることになりますが、それもまた、オシリスの思想に影響された結果だったのではないかと思われます。
ハンムラビ法典の制定を促した神は誰か?
さて、バビロン王朝のハンムラビ大王が制定した「ハンムラビ法典」についてですが、この法典は神オシリスの意向に沿ったものであると考えられます。当時、創造主ジェホヴィの信仰者や異教徒を排除するため、神スドガや神ティインは敵対国を次々と滅ぼして回っていました。しかし神オシリスは、そうしたやり方とは真逆の方法で信仰者や異教徒を駆逐すると語っていたため、オシリス自身が軍事的な手段で国を滅ぼすとは考えにくい、というのが私の見解です。

古代エジプトでは、いわゆる先王朝時代が紀元前3,000年頃から始まったとされています。一方で、大女神クペンタアミジが地上に降臨したのは紀元前4,000年頃とされており、彼女が昇天した後に神デユスが反旗を翻しました。この反乱の時期と先王朝時代が重なると考えると、時代の一致が見られます。そしてその後、神オシリスが崇拝されるようになった古王国時代(紀元前2,700年頃〜紀元前2,000年頃)は、デユスの終焉とオシリスの台頭に重なります。(この時代の年代考察については「【OAHSPE考察7-1】対ジェホヴィ戦争の開戦時期に対する考察」を参照ください)
もし神オシリスが自らの言葉通り、王朝を平和的に管理していたのであれば、古王国時代にはエジプトから他国への遠征は行われなかったはずです。ところが、神オシリスは後に神バアルや神アシュタロスと対立し、その影響で両神が支配していた領土を失っています。ハンムラビ大王が活動していたメソポタミアは、もともと神バアルが治めていたパーシー(ペルシア)に属していたため、ハンムラビ大王を支援していたのはオシリスではなく、バアルであったと考えられます。
また、中国を支配していた神ティインや、インドを支配していた神スドガは、敵対する教徒を滅ぼすために多くの国家を破壊しました。神オシリスはこうした方法に反対し、異なる方針を掲げていたはずですが、ハンムラビ大王の行動を見ると、敵対国を次々と滅ぼしており、結果的にティインやスドガの方針と一致しています。つまり、ハンムラビ大王を通してメソポタミア統一を支援した神はオシリスではなく、バアルであった可能性が高いということです。
そして「目には目を、歯には歯を」という有名な文言も、神バアルがかつて神オシリスから聞いた言葉をもとに、ハンムラビ大王の法典として取り入れたのではないかと考えています。
参考文献, 使用画像
図書 | 著者 | 出版社 |
---|---|---|
古代エジプト全史 | 河合 望 | 株式会社雄山閣 |
シュメル –人類最古の文明 | 小林登志子 | 中公新書 |
ハンムラビ法典(ウッィンクラー=ジョン版:翻訳版) kindle版(1903年の底本を元に翻訳) | ハンムラビ大王 Trois Pièces d’argent著 | Amazon kindle版 |
”BEROSSOS AND MANETHO” Introduced and Translated Mesopotamia and Egypt | Gerald P. Verbrugghe John M. Wickersham | The University of Michigan Press |
OAHSPE ”A New Bible in the Worlds of Jehofih and His angel embassadors.” | John B. Newbrough | OAHSPE PUBLISHING ASSOCIATION |
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