ハンムラビ大王について
まずハンムラビ大王は、かつてメソポタミアと呼ばれた地域、現在のイラクを平定した王であり、バビロン第1王朝の第6代の王です。バビロン国は弱小国でしたが周辺国を征服し、メソポタミアを統一しました。
ハンムラビ大王の名は19世紀に発見された「ハンムラビ法典」を制定した王としても有名であり、その中でも「目には目を、歯には歯を」の記述は誰もが一度は耳にしたことがあるのではないかと思います。
OAHSPEに初出の「目には目を、歯には歯を」について
「ハンムラビ法典」に記録される「目には目を、歯には歯を」の文言は、実はOAHSPEにも同様の内容を神オシリスが言っています。
正義のために戦う者は我のために戦う者であり、我はその者と共にある。
OAHSPE-24『対ジェホヴィ戦争の書』47章-18
我は戦争の神であり、戦士と共にある。
我は平和の仔羊であり、平和を愛する者と共にある。
為すことは我が行いにあり、為さざるは我が行いではなく、死の行ないにある。
目には目を、歯には歯を、血には血を、慈悲には慈悲を。されど全ての者に征服する意志と共に力を与える。なぜなら我はそれを為すがために人類の前に現れるからである。
神オシリスは神デユスが地獄落ちした後、神バアルとアシュタロスを配下に加えながら、アラビーニャ(アラビア諸国)、パーシー(ペルシア)、ヘレステ(ギリシャ周辺)で自分を創造主と僭称する独自の世界を築きました。この時、オシリスは創造主を僭称するのにそれらしい理由付けをするのですが、それを神バアルとアシュタロス、そして自分の腹心である神エギュプトに語って聞かせるシーンがあり、その会話の中に引用した部分が含まれています。
神オシリスの興味深い点は、自分のことを戦争の神であり、平和の神でもあると言っている点です。この矛盾を平然と言ってのけながら、他人を従わせることを是としているわけです。
後にパーシーを治めていた神バアル、ヘレステを治めていた神アシュタロスがオシリスに反旗を翻し、三つ巴の戦いが繰り広げられることになるわけですが、それもオシリスの考えに感化されてのことだと思います。
ハンムラビ法典の制定を促した神は誰か?
さて、バビロン王朝のハンムラビ大王が制定したハンムラビ法典は神オシリスの意向に沿っているわけですが、当時、ジェホヴィの信仰者や異教徒を駆逐するため、神スドガ、神ティインは敵対国を悉く滅ぼして回っていました。しかし神オシリスは彼らとは真逆のやり方でジェホヴィの信仰者や異教徒を駆逐すると言っているため、敵対国を滅ぼすような手段を採るとは考えにくいのが個人的な意見です。
古代エジプトは先王朝時代が紀元前3,000年頃から始まると言われています。ちょうど大女神クペンタアミジ降臨が紀元前4,000年頃であり、クペンタアミジ昇天後、神デユスが反旗を翻しましたが、その時期と古代エジプトの先王朝時代が重なると考えています。その後、神オシリスが崇められる古王国時代(紀元前2,700年頃~紀元前2,000年頃)がデユスの終焉と神オシリス台頭の時期になると推測しています。
神オシリスが自分の言葉通り、王朝を平和裏に管理したのであれば、古王国時代はエジプト以外への遠征は行われなかったはずです。ところが神オシリスは神バアルと神アシュタロスと対立したため、バアルとアシュタロスが支配していた領土を失いました。ハンムラビ大王が割拠していたメソポタミアは神バアルが支配していたパーシーに属していたため、ハンムラビ大王を支援していた神はバアルということになります。
中国を支配していた神ティインや、インドを支配していた神スドガは敵対していた教徒を滅ぼすため、数多くの国家を滅ぼしました。神オシリスはそれとは反対の道を進む方針を立てていましたが、ハンムラビ大王の足跡は神オシリスが反対していた神ティインや神スドガと同じく、敵対国を滅ぼす内容でした。つまりハンムラビ大王を支援してメソポタミアを統一に導いた神はオシリスではなく、バアルであり、ハンムラビ法典の「目には目を、歯には歯を」は神バアルがかつてオシリスから聞いた言葉をモチーフにして、ハンムラビ大王を介して制定したのではないかと思います。
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