【OAHSPE考察7-1】対ジェホヴィ戦争の開戦時期に対する考察

対ジェホヴィ戦争の概要について

OAHSPEの第24書『対ジェホヴィ戦争の書』には、神アヌハサジが創造主ジェホヴィに代わって地球を支配しようとする壮大な戦争の物語が描かれています。アヌハサジは、ギリシャ神話で知られる「最高神デウス」を名乗り、その反旗に賛同した多くの神々が各地を占拠し、それぞれ自らを崇拝される神として統治しました。

その中でも、中国のティイン(Te-in)、インドのスドガ(Sudga)、エジプトのオシリス(Osiris)は強大な勢力を誇っていました。しかし、後にこの三柱の神々はデウス(アヌハサジ)に反旗を翻し、自らを創造主と称して僭称しました。
この反乱の結果、各地に割拠していた小国の神々も独立してしまいました。その原因は、反乱後に主神として崇めていたデウスが地獄に堕ちてしまい、仕えるべき主神が不在となったためです。

それならば、創造主を僭称したオシリスやスドガ、ティインに仕えればよいのではないかと思われるかもしれません。しかし、主神デウスを貶めた三柱の神々に対して複雑な思いがあったり、またはそれまで自分と同格(デウスの配下であることを意味します)の神々の下に立つことを嫌ったため、小国ながらも独立の道を選んだのだと考えられます。

これを示唆する例として挙げられるのが、『日本書紀』や『古事記』に登場する日本神話です。日本神話では、国常立尊(くにのとこたちのみこと)が最初に生まれ、その次に国狭槌尊(くにのさつちのみこと)、豊斟淳渟尊(とよくむぬのみこと)の二柱が生まれ、この三柱の神々は自発的に誕生したと伝えられています(『日本書紀』神代上)。

天地開闢の神がなぜ日本だけを生み出したのか、以前から日本神話を読んでいて疑問に感じておりましたが、OAHSPEの『対ジェホヴィ戦争の書』を理解すると、その成り立ちについて察することができます。一言で申し上げますと、オシリス、スドガ、ティインの三柱の反旗に加え、日本の神々も自らを創造主と見なす物語を作り上げていったためであると考えられます。

こうして各地の神々が独立した結果、この時代は戦国時代のような戦乱の世となりました。インドのスドガや中国のティインは、自分たちを崇拝しない町々をことごとく滅ぼしたと伝えられております。しかし、エジプトを割拠していたオシリスは異なる方針を採り、それまで信仰されていた「デウス」の信仰をオシリスの意に沿う形で書き換え、既存の町を滅ぼさずに残しました。その結果、古代エジプトだけは中国やインドと比べて、当時の歴史書や歴史的建造物が比較的豊富に残されております。

しかし問題となったのは、オシリスが治めていた国で、オシリスの配下として行動していた神バアルとアシュタロスが反旗を翻し、オシリスと戦争を始めたことです。バアルとアシュタロスは西アジアやギリシャに勢力を広げ、ティインやスドガと同様に既存の町を破壊し、さらにはオシリスの支配するエジプトに対して宣戦布告を行いました。

しかし、オシリスやスドガ、ティインといった独立した神々は、かつて主神デウスを信仰していた人々の恨みを買っておりました。さらに、戦乱の世において怨嗟の声が高まっていたため、その憎悪の感情を持つ霊魂が人々に加担し、一大勢力となってこの戦乱を引き起こした神々を次々と地獄に堕としていったのです。

古代エジプトに伝わるオシリス伝承の中には、神オシリスが殺された後、妻である女神イシスによってその亡骸を拾われ、冥界で復活するという物語がございます。OAHSPEによりますと、神イシスはオシリスが創作した存在であり、実在はしていません。しかし、神オシリスの死、すなわちオシリスが地獄に堕ちたことを知った神イシスの信者たちは、オシリスの冥福を祈り、この物語を紡いだのではないかと考えられます。

こうして1,000年以上に及んだ対ジェホヴィ戦争は終結しました。

対ジェホヴィ戦争の開戦時期について

本節では、対ジェホヴィ戦争の開戦時期について考察します。
偽神デウス(アヌハサジ)が反旗を翻したのは、女神クペンタアミジの周期(紀元前3950年から紀元前1550年頃)とされています。
OAHSPEには具体的な時系列は明記されておりませんが、関連する資料は揃っていますので、それらを手掛かりに考察を進めていきます。

1.神アヌハサジが主神領マイトライアスの主上神になるまで

神アヌハサジは、神イフアマズダの名を騙り、ゾロアスター教の教義を改竄した偽神アフラマズダの副神の一人でした。
後に偽神アフラが地獄に堕ちた際、アヌハサジも共に地獄に堕とされました。やがてアフラが改心して戻ってきた時には、共にアフラに従い、天界アイルキンにて、自分たちが貶めた人々の救済に努めていました。

アフラは、階級の低かった霊魂を優れた人格へと成長させ、その後、天界アイルキンは「ヴァラピシャナハ」と名前を変え、崇高な天界の一つとなりました。
神アフラが創造主ジェホヴィへの信仰心を強めていく中で、邪心を抱いていたアヌハサジは次第にアフラに従えなくなり、やがてアフラにその心を見透かされたかのように追放されました。この時期はちょうど女神クペンタアミジの降臨の頃にあたります(紀元前3950年頃/B.K.5800年頃)。

その後、アヌハサジは悪魔の指示に従い、アフラに改心したふりをして近づき、主神領マトライアスの主上神に仕えることとなりました。(参考:OAHSPE第24書第8章14節)
ここでアヌハサジは100年の歳月をかけて主上神の側近にまで昇りつめます(紀元前3850年頃/B.K.5700年頃)。
さらに170年間、主上神に仕えた後、その後継者に選ばれました(紀元前3680年頃/B.K.5530年頃)。

2. 主上神アヌハサジが対ジェホヴィ戦争を引き起こすまで

アヌハサジが主上神に就任した当時の天界は、平和を謳歌しておりました。その平和の礎となっていたのは、神々が合議によって物事を決定する「ディヴァン法」、そして天界を地球の闇から守る主神領「マイトライアス」の存在でした。
このディヴァン法は、神フラガパッティが降臨された後(紀元前7050年/B.K.8900年)、地球の神となった神ホーブによって整備され、運用されてきたものです。しかし、この法は制定から三千年以上が経過しており、現代の状況に即していない部分も多く存在していました。

たとえば「結婚」に関する規定です。神フラガパッティが降臨された当時は、伝道者ザラツゥストラが活躍していた時代であり、人々は淫欲に溺れやすかったため、禁欲が奨励されておりました。しかし、すべての人が禁欲を実践すれば子孫が絶えてしまうという問題がありました。そこで、ブラフマーは妻ユティヴとの間に七人の子どもをもうけながらも聖人としての道を歩むことで、「禁欲そのものが悪ではない」ことを身をもって証明されたのです。

それにもかかわらず、こうした古くなったディヴァン法について、神々は十分に見直しを行わず、従来どおり運用を続けておりました。この現状が、神々のあいだに不満を募らせる一因となっていたのです。
それでは、なぜディヴァン法は大きな見直しがなされなかったのでしょうか。

その理由は、天界があまりにも平和であったためです。人間もまた、平和な時代には内在する問題点を軽視しがちですが、それは神々も同様でした。ディヴァン法の背後に潜む問題点に目を向けず、「現状維持」を優先していたのです。
こうした事態を憂慮された創造主ジェホヴィは、次のように警鐘を鳴らされました――。

ジェホヴィは彼らを叱責し,神にこう仰せになりました。
「陽気に種を蒔く者たちは悲しみのうちに収穫するものです」

OAHSPE-24『対ジェホヴィ戦争の書』5章-6

そして、創造主ジェホヴィが懸念されていた事態は、ついに現実のものとなってしまいました。ディヴァン法に対する不満、そして地球の闇との戦いを強いられていた主神領マイトライアスの神々の不満がついに爆発し、神々は主上神アヌハサジを担ぎ上げ、地球の神、ひいては真の創造主ジェホヴィに対して宣戦を布告したのです。

この戦争の火蓋が切られた正確な時期については、アヌハサジが主上神となってから「数百年後」という記述しかなく、具体的な年代は明らかにされておりません。しかしながら、その時期を探るための手がかりは残されており、それが以下の二点になります。

第一の手がかりは、OAHSPE第25書『リカの書』に記された次の記述です。

リカは言いました。
「神々は何人いるのでしょうか?
闇のダンは何人いましたか?
私の真なる神々は何処に消えたのですか?」

神は言いました。
「4人の神々は彼らの眷属、悲しみに暮れる真なる神と一緒に精霊エーテリア界へと昇っていきました。
4人の神々は来ては去り、弱々しく、息を呑むほどに小さく、闇に押し流されました。
精霊エーテリア界のサヴァクハベンSavak-habenにあなたの神々は滞在しております」

OAHSPE-25『リカの書』8章-9,10

この部分だけを取り出して読んでも、やや理解が難しいのですが、要約いたしますと、「アヌハサジが反旗を翻してから、神リカが降臨するまでの間に、天界のダン(光明期)が何回訪れたのか」という趣旨の内容となっております。

これに対して、地球の神は「4人」と回答しています。

女神クペンタアミジのスペタ弧の周期は2700年で構成されており、「200年、400年、500年、300年、400年、600年」の6つの期間に区分されています。そして、それぞれの区切りのタイミングで、上天より神が降臨してきます。
このうち「闇に押し流された人数が4人」と記されていることから、アヌハサジが反旗を翻したのは、1回目のダンハ(B.C.3750 / B.K.5600)から2回目のダンハ(B.C.3350 / B.K.5200)にかけての時期であったと推測できます。

もう一つの手がかりは、古代エジプトの歴史です。もしアヌハサジが反旗を翻す以前、世界に平和が保たれていたとするならば、その平和が破られた戦争の始まりが、すなわちアヌハサジによる反乱の時期である可能性が高いと考えられます。
古代エジプトには、全部で31の王朝が存在し、なかでも古代マケドニアに仕えた神官マネト(Manetho)による『エジプト史(断片)』は非常に有名です。

そのマネトが残した断片の中に、第1王朝に関する記述があります。

ヘロドトスがメン(Men)と呼ぶティニス(Thinis)のメネスとその 7 人の子孫について。
彼は62年統治した。
彼は軍隊を率いて国境を越え、大きな栄光を勝ち取りました。しかし、カバに殺されました。

Berossos and Manetho, Introduced and Translated ( The University of Michigan Press) 7章「マネト断片」より

古代エジプトの第1王朝および第2王朝は、伝説の時代とも称されており、神官マネトによる記述は非常に貴重な資料とされています。その中で、第1王朝の王であるメネス(Menes)について、「軍隊を率いて国境を越えた」と記されており、メネス自らが戦争を仕掛けたことがうかがえます。

これは、対ジェホヴィ戦争の始まりとも共通する部分があります。すなわち、主上神アヌハサジ率いる一派が先に戦端を開き、戦天使たちを世界各地へ派遣し、各地の神殿や町を襲撃していきました。その結果、多くの信仰者たちがデウス一派に取り込まれ、世界中に戦乱が広がっていったのです。

もし、エジプト第1王朝の初代であるメネスがこのような流れに呼応して行動を起こしたのであれば、同王朝の創始時期こそが、アヌハサジが対ジェホヴィ戦争の火蓋を切った時期に重なると考えられます。
このように、対ジェホヴィ戦争の開始時期については、上記2つの手がかりをもとに推定することが可能であると考えております。

なお、古代エジプト王朝の記録と『OAHSPE』の記述を照らし合わせた、対ジェホヴィ戦争の開戦時期に関する詳しい考察は、「対ジェホヴィ戦争の開戦時期の考察(エジプト第1王朝~第3王朝より)」に掲載しております。

偽神アヌハサジ(デユス)が反旗を翻すまでの時系列(表)

B.C.B.K.事績
39505800女神クペンタアミジの降臨と、スペタ弧の夜明け。
神アヌハサジ、主神領マイトライアスの主上神に仕える
38505700神アヌハサジ、マイトライアスの主上神の側近となる
37505600ダンハ(1回目のダンハ)
36805530神アヌハサジ、マイトライアスの主上神になる。
33805230神アヌハサジ、対ジェホヴィ戦争を引き起こす(推定。アヌハサジが主上神になってから300年後という想定)
※注:アヌハサジが主上神に就任してから何年後に開戦したかで、時期は決まります。現時点では300年と想定していますが、その鍵を握っているのがエジプト第1王朝の創始時期です。
33505200ダンハ(2回目のダンハ)
但し上天より訪れた神は闇の力に抗しきれず、精霊エーテリア界のサヴァクハベンへと逃れる。
28504700ダンハ(3回目のダンハ)
2回目と同様に、上天から降臨した神はサヴァクハベンへと逃れる。
25504400ダンハ(4回目のダンハ)
2回目と同様に、上天から降臨した神はサヴァクハベンへと逃れる。
21504000ダンハ(5回目のダンハ)
2回目と同様に、上天から降臨した神はサヴァクハベンへと逃れる。
15503400上天の神リカが地球救済のため降臨。ボン弧の夜明け。

参考文献, 使用画像

図書著者出版社
古代エジプト全史河合 望株式会社雄山閣
”BEROSSOS AND MANETHO” Introduced and Translated Mesopotamia and EgyptGerald P. Verbrugghe
John M. Wickersham
The University of Michigan Press
OAHSPE ”A New Bible in the Worlds of Jehofih and His angel embassadors.”John B. NewbroughOAHSPE PUBLISHING ASSOCIATION

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